てぃーだブログ › 本当はヴァンパイアの島だった沖縄

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Posted by TI-DA at

2012年12月20日

本当はヴァンパイアの島だった沖縄

沖縄の人間ほど、血がすきな民はいない、と思う。
おそらく世界一…。

なにしろ、めでたい席での料理には血をかけまくり、保存のための美しい血のゼリーまである始末である。
最高級の豚肉料理は、解体された自らの血で煮込んだそれだというから、もはや何というべきか…。

誰もが口をつぐんで隠している事実を明らかにしよう。
これを秘密にしたがっているある一部の集団から、何らかの報復を受けるかもしれないが、もう私などどうなったっていい。それに、ここに書くことで、ある種の防御となるかもしれない。

それでは、言おう。

沖縄では、実は動物や人間の生血を飲む風習がごく最近まで一般的にあった。

いや、現在においても一部で続いているという噂さえある。

いったい何のため?
そして、いったいどうやって?



沖縄人。
まさにヴァンパイアとでもいうべき種族である。
ユダヤ人も血の民と言われ、さまざまなおそるべき風習が知られているが、沖縄のそれと共通するものも多く見られるという。

しかし、決定的な違いもまたある。

それは、イエスキリストをも超える、救世主ヴァンパイアの存在である。
結局、私がいいたいのは、その一点なのであるが。

…話が錯綜して何を言っているのかわからなくなってきだだろう。
たいへん失礼した。

最初の水先案内人は、いつも不器用なものである。
ときには興奮のあまり我を忘れ、道に迷ったりもする。
はなはだ頼りのない案内人であるが、すくなくとも、最後は彼の地へたどり着くだろう。

本当はヴァンパイアの島だった、沖縄へ。

www.vamp.jp

※本稿は独断と偏見に基づくフィクションであり、実在の人物・習俗その他いっさい無関係です。
 また、本稿により何らかの精神的被害が生じた場合も、責任は負いません。  


Posted by 島ヴァンパイア一号 at 21:26Comments(0)01 本当はヴァンパイアの島だった沖縄

2012年12月20日

ユダヤ人と沖縄人

ホントかウソかわからないが、こんなジョークがあるという。

多国籍人の群れの中から、沖縄人とユダヤ人を見分ける方法は?

答えは、血の入ったポットを真ん中に置いたとき、最初と二番目にポットに飛びついたやつである。

しかしこれはジョークというより、本当の話である。
ユダヤ人にとっては儀式の際に、沖縄の人間にとってはチイリチーというご馳走を作るのに、血は欠かせないからである。



チイリチーは、かつて沖縄では目上の人に捧げる高級料理とされた。
現在ではナントカ条例とかでほとんど口にすることもできないが。

実際、うまい。

しかし、本当にうまいのは、料理の方ではなく、血の方ではないか…。
沖縄人の美味しそうな食べ方を見ると、そういう気がしてならない。

もしかすると、彼らは、料理ではなく、血そのものを食べているのかもしれない。

生だと、もっとうまいだろう…。
  


Posted by 島ヴァンパイア一号 at 23:01Comments(0)01 本当はヴァンパイアの島だった沖縄

2012年12月21日

ヴァンパイア島へ

●島へ

そこは 忘却の島
失われた願いが かなうところ
こわれた 夢
錆びついた 希望
すべてがまざりあいながら 流れてゆく



そこは 変容の島
悲しみが喜びに かわるところ
苦しみの 叫び
悲しみの 涙
すべてが一つになって 流れてゆく

そこは 追憶の島
愛した人が つどうところ
はかない 恋
むなしい 祈り
すべてがよみがえり 流れてゆく
  


Posted by 島ヴァンパイア一号 at 00:12Comments(0)02 幻想詩 沖縄ヴァンパイア島

2012年12月21日

幻想の島

●幻想の島、沖縄

そこはまたムンと呼ばれる沖縄固有のヴァンパイアたちが跋扈する島でもあった。
島の人々と彼らとの凄絶な戦い、そして共存。
生と死の狭間をさまよいながら、この島の人々は何を見たのだろう。
  


Posted by 島ヴァンパイア一号 at 00:34Comments(0)02 幻想詩 沖縄ヴァンパイア島

2012年12月21日

●南幻記 1



追憶という名の鳥が
思い出に彩られた
美しい翼を羽ばたかせながら
飛んでいくあの
あけもどろの空
永遠と瞬間のはざまに咲くという
赤い花を探す伝説の旅を
いま始めよう

  


Posted by 島ヴァンパイア一号 at 00:36Comments(0)02 幻想詩 沖縄ヴァンパイア島

2012年12月21日

島の真実


沖縄。
この島が、不死の島、蘇りの島、悪霊たちの島、すなわちヴァンパイア島であることに気がついたのは、もうだいぶ以前のことだ。

かつて、島のいたるところで見られたという血にまつわる風習。
あるいは、死者の復活を信じて行われた様々な儀式は、そのことを示唆している。

さらに、『おちみず』と呼ばれた不死の水への信仰。
墓参りでの、死者と共にするという奇妙なまでに賑やかな会食。
つい最近まで行われていた、洗骨の風習。
『マブイ』と呼ばれる人間の魂の着脱概念。
死者たちの結婚、グショーニービチ。

これらは、この島における生者と死者の特別な関係を物語っている。
すなわち、この島の人たちは明らかに死者たちと同じ空間と時間を共有し、しかもそれを積極的に受け入れようとしている……。

この島の人たちにとって、夜は死者たちの時間であり、生きている者たちは彼らを邪魔しないように気をつけて生活してきた。
昼と夜の境目の短い時間には、生者と死者が交流することさえできたという。

まさに、ヴァンパイアの世界そのものではないか?



しかし、なぜか、そのことをいう者は誰一人としていない。
時代遅れの民俗として、言う価値もないものと見なしているのか。
それとも、現在までも続くさまざまな風習や、儀式の裏に隠された秘密が白日のもとにさらされ、沖縄のイメージが損なわれることを恐れて、口をつぐんでいるのか。

私にはわからない。

ともあれ、沖縄がヴァンパイア島であることを言うことに、いったい何の意味があるのだろう?
そんな妄想じみた話をすれば、私は頭がおかしいと思われるに違いない。
しかし、私も年を取り、何もかもが面倒になってきている。
生きることだけに追われ、もう明日も知れない身の上だ。
いま話さなければ、おそらくもう話すこともないだろう。
もう何と思われてもいい。
わずかづつではあるが、なにか書き留めておこうと思う。

自分が生きてきた証のために。
そして、愛しい、あのヴァンパイアたちのために……。
  


Posted by 島ヴァンパイア一号 at 14:48Comments(0)01 本当はヴァンパイアの島だった沖縄

2012年12月24日

やっぱり血が好き

一般的に、人が血を飲む理由は、生命やエネルギーの象徴を体の中に取り込むことである。

血によって霊感や活力を得たりする。
ヴァンパイアもそうだ。
血によって復活のエネルギー、永遠に生きるエネルギーを得る。

しかし、沖縄の人間の血に対する愛着は尋常でないものがある。
血が聖なる物である以前に、血が霊感のもとである以前に、

血は、美味しい…。

のである。
血の美味しさを知り、血を味わうことにかけては、沖縄の人間は人後に落ちない。





なぜ、沖縄の人間はこんなにも血を愛するのだろうか。
そして、なぜこんなにも血にひきつけられるのか。

血にひきつけられるといえば、さきほどから一匹の小型のコウモリが公園の痩せたガジュマルの木にぶら下がっている。
コウモリとヴァンパイアが真実どんな関係にあるかわからない。
一つ言えそうなことは、コウモリもヴァンパイアも噛むことである種の伝染病をまき散らしていることだ。

あのコウモリは昼間もよくあの木にぶら下がって寝ている。
不細工なネズミとも豚ともにつかぬ素顔をさらして。
私の首をねらって、何かを伝染させようとしているのだろうか。
もしそうだとしたら、早く噛まれたいものだ。

続きがあるなら、私は次へすすみたい。
  


Posted by 島ヴァンパイア一号 at 22:19Comments(0)01 本当はヴァンパイアの島だった沖縄